代表取締役会長兼社長 挨拶

アックスも皆様のご支援により、創業 満30周年を迎えることができました。僕は、1980年代中期にUNIXそのものと、ネットワーク技術とそのオープンな接続性に触れ、感動しました。また、そのUNIXマシンを相互に接続してインターネットが立ち上がっていく様を目の当たりにしてきました。

UNIXとインターネットのオープンさには、幾通りかの種類を見ることができます。

一つは、接続性のオープンさ。
これは、無料で誰でも使用できるRFCなどのプロトコルに代表されます。プログラムの実現や、ハードウェアは必ずしも公開されませんし、無料でもありません。しかし、RFCにしたがって実装すれば、ちゃんとつながり、実現の供給者は適正な競争を形成することもできます。

別のオープンさは、フリーソフトウェアの存在です。UNIXのOSそのものも、AT&Tの特殊事情により営利的なものではありませんでした。OSのソースコードは、勉強のためなら非常に低いコストで参照できました。そのようなUNIXの上で開発されたプログラムには、無料で高機能、高性能なものが多数ありました。それらの多くはソースコードが無料で公開され、インターネットで配布されました。昔のインターネットはプロバイダなどというものが存在しておらず、通信コストをユーザ同士で負担し、ある部分、全ユーザにボランティア的な精神がありました。ですから、フリーソフトウェアというものも、ごく自然に発生し存在したのでしょう。

僕は、営利企業としてのアックスを創業しましたが、お金儲けの仕事をする中でも、誰かの役に立つ仕事、できれば広い世界で再利用されるような仕事をUNIX技術やUNIXサーバへ接続する技術で行いたい、と考えております。

元来、僕たちは、UNIX技術が好きな技術者集団ですが、創業当初は、あえて、UNIXへ接続するクライアントOSの技術を多数開発していました。しかし、一方では、雑誌などに「つこてなんぼのFreeBSD」の連載やNetBSDをMacintoshで動作させる方法などを紹介し、UNIX技術の振興を手伝ってきた自負があります。また、当時から、特殊なネットワーク・ルータや特殊なサーバをBSDで作ったりもしていました。

2000年ごろからは、組込みLinuxというものが台頭し、クライアントOSや、家電、携帯電話などにLinuxが搭載されるようになってきました。僕たちアックスは当然に組込みLinuxを提供、サポートさせて頂いています。Linuxの世界では、日本独自アーキテクチャのCPUへのLinuxポーティングを多数行い、インストールベースの拡大に貢献している自負があります。また、MIPS版などのLinuxの重大なバグをいくつも潰して、世の中の役に立てていると思っています。

さらに、Linux用の手描き文字認識システム(布目)をスクラッチから開発し、GPLにて配布しています。


僕は、1976年 高校1年生のときから、AIを独学で勉強していました。 MITのスレイグル氏が書かれた本(竹内郁雄など訳)を読み、1977年には発見的手法の論理推論でゲームを指す「三目並べ(○×)」プレイヤを開発しました。そのAIはキャノンの大きなプログラム電卓(SX-103=プログラム・メモリ:300ステップ,データ・メモリ:30個)とTK-80(CPU:8080@2MHz,メモリ:512バイト)の機械語で動かしました。(オセロゲームをPCがプレイするようになるのは、1980年ごろです)

1986〜7年ごろには、 Temporal Prologという桜川氏が考案した時相論理言語 合理的な実現を実装した処理系を開発したりしていました。Prologは論理推論AIを書きやすいAI用プログラミング言語です。

僕は、1977年当時から、マイクロ・コンピュータの小ささと論理推論AIの並列化の可能性を知り、並列/分散AIを実現することを夢見ていました。1985年ごろ、SUNワークステーションが並べられ、それらがEthernet LANで結ばれたものを日常的に使うようになり、まず、分散OSを作ろうと考え、当社製品XTALの前身となるCinnamonとそれのための独自TCP/IPスタックを1988〜9年に開発し、完全独自の分散OSを実現しました。完全独自OSですが、オープンなTCP/IPによってSUNなどのUNIXワークステーションやUNIXサーバと通信することが可能でした。

創業30周年を超え、これからの5年後、10年後に向かい、営利性を目指すも、オープンな気持ちと、世の中に役立ちたい気持ちを失わずに、これからは、並列AIを実現するハードウェアや、様々なソフトウェアを開発し、またコンピュータの開発環境を様々な形で提供して行きたいと考えております。

竹岡 尚三